不甲斐ない結果で終わった最後の年
学生最後の年
私は、2012年11月25日(日)をもって東京学芸大学蹴球部を引退しました。今、結果的にみれば、私のプロを目指すというサッカー人生は、そこで幕を閉じました。
最後の年に、蹴球部として設定した目標は「インカレ出場」でした。インカレとは、簡単に説明すると、各地方の代表チームが競い合い、日本一を決める大会です。
私が4年生のとき東京学芸大学は、関東大学サッカー1部リーグに所属していたので、そのリーグ終了時に4位以内に入っていれば、自動的に出場権を得られたのです。
不甲斐ない結果
しかし、11位という不甲斐ない結果に終わりました。2部降格という無惨な現実を叩き付けられました。能力の高い仲間たちがいたのにも関わらず、下から2番目。涙が止まりませんでした。
三年生以下の後輩たちや関東リーグに出ることができなくても必死に応援して支えてくれた4年生など、たくさんの仲間たちの想いに応えることができませんでした。
そして、プロをはじめ多くの現場で活躍している先輩方が築き上げてきた伝統、その伝統を繋いで、やっとの思いで勝ち取った1部リーグというステージ。
多くの先輩たちの想いがこもった素晴らしいステージを一年で去ってしまうことになり、本当に申し訳ない気持ちでいっぱいでした。
また、スタッフの方々は、部活のある日もOFFの日も朝から夜遅くまでチームのために映像分析やチーム分析などをしていたことを知っていたので、1部残留すらできなかったのが心残りです。
自分の力不足
部としての目標を達成できなかったのは、東京学芸大蹴球部の部員全員に何かしらの問題があったからだと思います。
各々が力を最大限に出し切れてなかったから、仲間を活かしきれていなかったから、選手とスタッフ間での共有が上手くいかなかったから、問題は様々あります。
しかし、何よりも大きかったのは自分の力不足だと思っています。
部の副主将として、試合ではゲームキャプテンとして出場していたこともあった中で、自分の力がチームの支えとして発揮されることが少なかったのではないかと思います。
戦術面、技術面、統率面、まだまだ甘い部分がたくさん目立ちました。もっと自分に力があれば、みんなの力を引き出すとともに、チームを一つにまとめあげ、東京学芸大学蹴球部としての力を発揮できたはずです。
最後に
最後の年は、不甲斐ないものになってしまいました。「インカレ出場」という目標を掲げたにも関わらず、2部降格という本当に悔しい結果に終わりました。
自分の力不足を痛感させられた一年でもありました。
しかし、今考えるとその経験がさらに自分を成長させてくれた貴重な時間であったなと感じております。
東京学芸大学蹴球部に関わってくださった方、本当に感謝しています。
そしてこれからも東京学芸大学蹴球部を宜しくお願い致します。
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